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『西部戦線異状なし』(せいぶせんせんいじょうなし、原題:''All Quiet on the Western Front'')は、1930年のアメリカ映画。ユニヴァーサル映画作品。第3回米国アカデミー賞最優秀作品賞、および最優秀監督賞を受賞した作品。アメリカ連邦議会図書館が1990年、アメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品でもある。 原作『西部戦線異状なし』は、第一次世界大戦の敗戦国ドイツ出身のエーリヒ・マリア・レマルクが1929年に発表し、世界的な大ベストセラーになった反戦小説である。 戦争の過酷さをドイツ側から描く、アメリカ映画としては異色の作品である。 == ストーリー == 第一次世界大戦中、ドイツのとある学校。授業そっちのけで愛国心を説く老教師の言葉に感化された生徒たちは我先にと入隊を志願、愛国歌「ラインの護り」を歌いながら教室を後にする。級長のポール(リュー・エアーズ)は同級生のフランツ、ムラー、アルバート、ベームらと同じ内務班に配属された。新兵の教育にあたるのは、予備役から応召したヒンメルストス軍曹である。普段は気のいい郵便配達員としてポールたちとも顔馴染みのヒンメルストスだが、軍服に身を包み練兵場に現れると態度が豹変、ポールたち新兵に情け容赦のない猛訓練を課す。そのサディスティックな仕打ちに腹の虫が収まらないポールたちは、検閲に合格して出征を控えたある夜、泥酔して帰営したヒンメルストスを待ち伏せ、袋叩きにして鬱憤を晴らす。 やがて彼らは汽車でフランス軍と相対する西部戦線へと送られる。一息入れる間もなく、さっそく初めての任務、鉄条網の敷設に駆り出されるポールたちだったが、敵軍の銃砲撃の中、いちばん気弱なベームが無惨な死を遂げる。訓練とはまったく違う本物の戦争を目の当たりにして衝撃を受ける若者たちに、戦場で生き延びて行く為のノウハウを授けてくれたのは、カチンスキー(ルイス・ウォルハイム)ら分隊の古参兵たちだった。連日の戦闘の中、ひとり、またひとりとクラスメイトたちが戦死していく。ある日の戦闘でポールは砲弾穴へ落ちたが、同じ穴に飛び込んできたフランス兵をとっさに突き殺す羽目になる。そのフランス兵のポケットから彼の妻子の写真が落ち、ポールの胸は痛む。 そして数か月が経ったが、戦争はまだ続いていた。若者たちは一人前の兵士に成長し既に古参兵の域に達していた。ひょんな事から知り合いになったフランス娘たちと楽しいひとときを過ごした翌日、ポールは行軍中に砲撃を受け負傷、病院へ送られる。やがて傷も癒え、休暇をもらった彼は帰郷した。母校では相変わらず老教師が戦争を讃え、愛国心を説いている。教室を覗いたポールに老教師は、生徒達に戦場での素晴らしい体験談を話して聞かせて欲しいと促す。まるで英雄でも見つめるかのように軍服姿の自分に羨望の眼差しを向けてくる生徒たち。彼らや教師が期待するような功名談など話す気になれないポールは戦場の悲惨さを語ろうとするが、実際の戦場も知らず、愛国心に興奮状態の生徒たちには伝わる筈も無く、ただ彼らを失望させるだけだった。久しぶりの帰郷にも関わらず、自宅でも心が休まらないポールは休暇を切り上げて戦線へ復帰した。 隊に戻るとすっかり顔ぶれが変わり、かつての自分たちのような幼く不安げな新兵ばかりになっていた。カチンスキーは相変わらずだったが、再会を喜んだのも束の間、敵の砲爆撃を受け、ポールの背中であっけなく死んでしまった。 長雨の後の晴れた日、戦場は珍しく静かだった。ハーモニカの音が聞こえ、一羽の蝶が飛んできた。塹壕からそっと手を出すポール。その瞬間、敵狙撃兵の弾丸がポールの若い命を吹き消した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西部戦線異状なし (映画)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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